手持ちのレンズを増やすということ
- fletcherjapanstude
- 2018年9月23日
- 読了時間: 5分
MALDのHです。フレッチャースクールは国際関係専門大学院ということで、主に外交・安全保障といった分野に特化した学校ですが、そんな学校ならではの醍醐味として、世界の成り立ちや在り方について多様な見方を知ることができるということを、今回はご紹介させていただければと思います。
フレッチャースクールは、私が属する2017年入学組で言うと、非アメリカ人学生が約4割、アメリカ人学生が約6割を占めます。様々な国から学生が集まっているので、自分とは違った見方に触れるチャンスは、些細なものから大きなものまで、そこら中に転がっています。
例えば、アメリカの民主主義について。私がこれまでに履修した授業の中で、少なからず、アメリカこそが世界でも最も進んだ民主主義国家であるという議論がなされることがありました。もちろん現実のアメリカは、党派主義の台頭に代表される民主主義に付随する難題に直面しており、フレッチャースクールの教授や学生は当然このような問題に関心の高い人が多いわけですが、それでも、民主主義が草の根レベルで徹底されていることに対する自負心は、自分の想像を超えたものでした。
その他にも、日本や欧州での米軍駐留の意義や負担の在り方について、あるいは国際社会における中国の行動に対する評価についてなど、日本で培ってきた「定説」とは異なった見方に、授業の内外で触れる機会がありました。もちろん政治的価値観や国益といった要素が関わってくる分野なので、少なからず緊張がそこには生じますが、直接的な利害関係のない学生同士だからこそ率直な議論ができるという意味で、本当に貴重な機会だと思います。なぜ、相手がそう考えるのか。そこを知るところから、全ては始まります。
一つ、具体的なエピソードをご紹介しましょう。私は修士論文で日露関係を取り上げることにしており、今学期は、ロシアのモスクワ国際関係大学(MGIMO)の学生の皆さんとの遠隔での合同授業を履修しています。フレッチャースクールと同じく多くの外交官を輩出する名門大学で、両校主催の米露関係に関する会議も定期的に行われています。
ロシアの外交政策と言えば、所謂「西側」(かなり時代遅れな表現ですが)のそれとは大きく目的意識や価値観が異なるというのが一般的な理解かと思います。私自身、日々の報道や文献から、そのような印象を抱いていたのですが、ロシアの学生の皆さんとのディスカッションを通じて、これまで自分や自分の周りで定説とされてきた「事実」が、必ずしも世界の様々な場所で同様に受け止められているわけではないということを実感しました。
例えば米ソ冷戦終結の原因について。おそらく日本(そしてアメリカや西欧)においては、アメリカとの軍拡競争などによって疲弊したソ連が自壊したというのが一般的な理解だと思います。言い換えれば、冷戦はアメリカをトップとする自由主義陣営の勝利であり、共産主義陣営、なかんづくソ連の敗北であるという見方が広く受け入れられています。
しかし、ロシアの学生からは、全く違う意見が出てきました。いわく、ソ連は、自ら東欧や中欧から兵力を撤退させ、能動的に米ソ対立をウィンウィンな形で超克しようとしていた。あるいは、ソ連は、米ソ両国が対等なプレイヤーとして関与する新たなヨーロッパの秩序を模索しようとしていた。したがって、冷戦の終結やソ連の解体は、アメリカのプレッシャーという外圧によるものと言うよりも、むしろソ連の自発的な変革の試みの帰結だったという見方です。当然、このような見方には、冷戦の平和的な解決を目指していたソ連を上手く理解することができなかったのは「西側」であるという議論が含意されています。
私自身、このような見方が存在することは何となく文献等を通じて知っていましたが、やはり将来的にロシア外交を担う若い世代の人達の口から直に聞くことで、「定説」とは違った見方の存在を実感しました。冷戦が集結してから30年近くが経とうとしていますが、こうした見方の違いを探るということは、ただ単に歴史解釈を後付けで議論するという意味以上に重要な意味を持ちます。冷戦終結について言えば、ソ連が外圧に抗しきれずに敗北したと見るか、それとも自ら終結を目指したと見るかによって、ロシア側から見た、その後の世界観は全く違ったものになります。ソ連時代に対する評価も大きく変わってくるでしょう。逆に言えば、そうした自分とは異なる見方を知ることによって、一見するとブラックボックスのように見える相手方の意思決定のプロセスを理解することに繋がるのだと思います。
この授業ではその他にも、2016年米大統領選におけるロシアの介入疑惑やクリミアといった、敏感なテーマについて議論が交わされています。ある行動を攻撃的なものと見なすか、それとも防御的なものと見なすか。そもそも国家の外縁とは何か、国際社会における「地位」とは何か。様々な問いに対して、次はどのような異なった見方に接することになるのだろう。ある意味緊張の絶えない日々ですが、そうした発見をすることこそが、世界で学ぶことの醍醐味なのかも知れないと思っています。
同じ光景を見ているつもりでも、レンズを替えてみると、また違った発見があるかも知れない。その発見こそが、一見袋小路に陥った私達が難題を解いていくためのヒントになるかも知れません。だからこそ手持ちのレンズを増やしていく。留学生活も気がつけば終わりが見え始めてきましたが、心がけていきたいと思います。
次回記事は同じくMALDのAさんが執筆予定です。

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