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Class of 2019 H.S.
Class of 2019 K.A.
Class of 2017 Y.S.
The International Legal Order
by Michael Glennon
Class of 2019 H.S.
皆さんは国際法についてどのようなイメージをお持ちでしょうか?なぜ国際法に違反した行いが横行しているのか、という問題意識をお持ちの方もおられれば、国内法のような法執行機関が整備されているわけではないにも関わらず、なぜ概ね遵守されているのかという疑問を持たれる方もおられるのではないでしょうか。
Glennon教授のInternational Legal Orderは、国際法についての総論的な授業で、法とは何か、という法哲学的な議論から始まり、国際慣習法やウィーン条約法条約の制度の整理、そして米国の様々な事例を通じての国際法と国内法の関係と、国際法の性質や制度についての理解を深めていきます。
これらの基本的事項については、すでに国内の大学の国際法の科目で学習したという方もおられると思います。しかし、国際法の政治的な側面によって、日本と米国で学ぶ国際法の姿の間にはとても大きな差異があります。強大なpowerを誇る米国が、国際法をどのように捉えているのか、また、国際法の制定プロセスにどのように参加しているのかという論点は、国際法の理解をさらに豊かなものにしてくれます。
また、米国における国内法と国際法の関係についても、この授業の特色です。これについては、日本人が留学生の立場で学ぶ必要があるのか、という疑問をお持ちになった方もいらっしゃるかもしれません。特に、連邦制、(米国型の)三権分立、司法手続といった米国の統治機構の制度に馴染みがないため、非常にとっつきにくい印象があるのも事実です。しかしながら、国家を超える超主権的な存在がない国際社会において、国際法の遵守は最終的には各国家の責任においてなされるものであり、各国家の国内法はその履行についての非常に重要な要素の一つです。そして、国家がいかにして国際法の制約を受け、時には利用し、時にはその義務を果たさないのかという国際法の政治的な側面を理解することができます。
ここまで、すでに国際法を学んだことのある立場からこの授業を紹介してきましたが、国際法初学者の方や法律に馴染みのない方にとっても、法の本質に触れる基礎法学的な事項から、国際法の制度まで、順を追って丁寧に触れられるため、決してためらう必要はなく、むしろ「国際法入門」という観点からも優れた授業だと思います。
Glennon教授ご自身も認めるとおり、この授業は決して簡単なものではありません。毎週のリーディングの分量が多く、特に国際司法裁判所や米国の国内裁判所の判例を読むに当たっては、一つ一つの論理を追う必要があるため、より丁寧な読解が求められます。当然ながら、学期末の試験勉強の負担も相応のものとなるでしょう。それでも、すでに学んだことのある方にとっては、国際法の性質について新たな視点からさらなる理解を深めるための場として、初学者の方にとっては基本的な制度や法学的思考法を学ぶ場として、非常におすすめできる授業です。
Class of 2018 Y.Y.
第二次世界大戦以後、幸運なことに日本は平和を享受し続けることができました。しかし、昨今の国際情勢は予断を許さない状況が続き、日本周辺も例外ではありません。こういった中、国際秩序の成り立ちを理解するのは容易ではありません。しかし、国際法という枠組みは間違いなく秩序の基礎を形成し、安定化のために一役買っているということができるでしょう。
現在フレッチャースクールは開発やジェンダーといった分野にも強みを持っていますが、国際法は安全保障と共に学校設立以来の主要科目として位置づけられてきました。国際法の本場は欧州では?とお思いになる方もいらっしゃるかと思います。しかし私はアメリカで学んでこそ面白い、とも考えています。それは国際法のもつ極めて政治的な側面に由来します。ご承知の通り、国際社会に法執行機関はなく、ある人は無秩序であると言います。国際法として枠組みを設定したところでその執行者がいなければ担保がないのと同じです。このような特性を持つからこそ、国際政治を動かすパワーたるアメリカにおいて国際政治と国際法の関係を同時に学ぶ意義があるのだと思います。
フレッチャーで国際法を体系的に学ぶ際は、Michael Glennon教授の “The International Legal Order” 及び “Public International Law” がお薦めです。Michael Glennon教授は米国上院外交委員会や国務省等において法律顧問を務めた経験もあり、実務的経験も豊富な教授です。
“The International Legal Order” は法哲学から始まり慣習国際法、条約法、国際法と国内法の関係、また国際法の限界等を学習していきます。フレッチャーでの授業は知識を身につけるのではなく、様々なケースを通じて国際法が法足り得るかという点を考えていくものであるように思います。特に国際法と米国憲法の関係は日本で学ぶことのない論点であり、非常に興味深いものがありました。“Public International Law”は武力行使関連、人道法、個人の刑事責任等を扱います。前期に比しコントラバーシャルな分野なこともあり、授業は基本的にディスカッション形式になります。面白いのは、学術的正当性を議論するのではなく、現実世界で起きる諸問題に国際法がどう対応しているか、またすべきかを議論する点です。International Studentが多いフレッチャーですから、拠って立つ信念もそれぞれであり、時に白熱した議論にも発展します。
日本は外交政策においても法の支配を普遍的価値と位置づけ、その確立に向け重要かつ建設的な貢献を行っていく立場にあります。もちろん米国も同じスタンスでありながら、特に武力行使の段階においてはしばしば国際法上の根拠が曖昧な場合があります。当然政策決定は様々な要素の総合考慮でなされますが、法的根拠がどのように議論されるのか、授業を通じて考えていきます。
授業負担に関していうと、日々のワークロードは重いと思われます。課題図書が膨大で、基本的な事項やケースについてはこのリーディングアサインメントでこなしていることが前提で授業が展開されるためです。また、成績評価も厳密です。クローズブックの最終試験1発で評価され、かつ試験問題も難解なため十分に準備する必要があると思います。
いずれにせよ、混沌とした国際秩序を理解する上でベースとなる知識・思考能力を身につけることができる授業だといえます。教授は議論好きなので、授業外でも常にコーヒーを淹れて学生を待っています。
International Organization
by Ian Johnstone
Class of 2019 J.M.
アメリカの国際法研究は、英仏の伝統的な研究に比べプラクティカルな視点が重視されています。その一つの例として、アメリカでは国連を始めとする国際機関に関する法学的研究が非常に進んでいる点をあげることができます。そして、フレッチャーにおけるInternational Organizationsの講義はまさにその典型といえるのかもしれません。
講義名はInternational Organizationsですが、実際の講義内容は「国連法」とでもいうべきでしょう。講義は大きく三つのパートに分かれており、まず最初に国際関係及び国際法に関する理論を学んだうえで、次に武力の行使(国連憲章第51条など)や安保理の事実上の立法機能、人権・難民問題、開発(SDGsなど)といった諸論点を、国連憲章や国連関連機関の活動内容を紹介する形で学びます。そのうえで、講義の最後には、国際機関の説明責任や国連改革といった国際レジームについて検討します。非常に体系的かつコンパクトに、国連を中心とした国際機関の活動並びにその国際法的根拠及び関連する議論を学ぶことができ、国際機関に関わる職務につきたいという方にはぜひ受講していただきたい授業です。
International Organizations を受け持つIan Johnstone教授は10年にわたり国連のPKO関連部署で国連の政策策定に携わってきた経歴を持っています。フレッチャーの国際法の講義は伝統的にDeliberative Democracy(熟慮民主主義)を重視する傾向があり、Johnstone教授もNGOやTrans-governmentalネットワークの国際社会に果たす役割に注目する立場から、国際機関を単に国家が利益最大化を目指すフォーラムととらえず、国際機関自体の役割や国際社会への影響を重視しています。しかし、Johnstone教授自身、最終講義に「国際機関に過大な期待をしすぎてはならない」とおっしゃっていたように、講義では、ご自身の実務経験も踏まえ、理想主義には傾きすぎず、リアリスト的視点も踏まえたバランスの取れた講義内容になっていると思います。
私自身、この講義を通じて国連憲章の解釈やそれに関連した各議論をしっかり学ぶことができました。現代国際法において最も重要な国連憲章の解釈と、国際政治の舞台で実際にどのように国際法が用いられており、どのような問題が生じているのか、またそれらの問題に対してどのような解決方法がありうるのかといった視座を体系的に学べたことは、今後の自らのキャリアにとっても、またこれから国際情勢を認識する上でも非常に役に立つものであると確信しています。
国際司法裁判所の判事を務めたイギリスの国際法学者ヒギンズは「国際法はルールではない。むしろ、意思決定のプロセスである」と述べています。まさに国際法という「プロセス」のダイナミズムをInternational Organizationsは教えてくれた、そのように感じています。
International Finance and Fiscal Law
by Joel P. Trachtman
Class of 2019 A.S.
国際金融に関する法律、規制に関する授業で、会社法、契約法、破産法、国際租税、証券規制、銀行規制など幅広い分野をカバーします。Trachtman教授はハーバード・ロースクールを修了後、国際的な法律事務所で10年ほど弁護士をされていましたが、1989年からフレッチャースクールに在籍されており、長いキャリアを誇ります。授業は各分野における枠組を説明していく講義形式ではなく、事前のリーディングを前提として、学生からの質問等を踏まえて重要なポイントを展開していく対話形式でした。基本的には米国法の観点から話が進みますが、例えば銀行規制はEUの観点から、証券規制は外国企業が米国市場に上場する場合に当該国の観点からなど、授業名どおり国際的な内容になっていました。
事前の履修科目等の指定が無いため法学の未修者でも受講することができ、ファイナンスに関心を有する学生が多く履修しており、自分もその一人でした。英語での専門用語などわからないことだらけでしたが、予習、授業等を通じて気づかされることが多くありました。例えば、最初の気づきは、シビル・ローとコモン・ローの違いでした。契約法では契約書、判例の話はあるものの、法律の条文は出ないため違和感がありました。自分が日本法(シビル・ロー)から類推していることが原因とわかると、少しクリアになりました。また、他の気づきは、米国法では連邦法、州法が重層的に機能していることでした。会社法では州間の競争(デラウェア州法に基づく設立を選ぶ企業が多い。)、証券法では連邦法による規制、州法による補完など、まさにstatesたる法体系が米国にはありました。
授業で一番印象に残っていることは、法律に基づいた議論に重点が置かれていることでした。例えば、破産法ではアルゼンチンの債務危機においてvulture capitalist(いわゆるハゲタカファンド)がPari Passu条項に基づきどのような行動を取ったか、証券法ではアリババが米国への上場において中国国内でvariable interest entity(持分変動事業体)をどのように活用したか、また、その結果としてどのような法的リスクが生じうるか、国際租税では多国籍企業が各国の税制の違いを活用してどのようにタックスプランニングを行っているか、といった内容が授業で取り上げられました。制度設計者の意図や倫理的な妥当性ではなく、利用者が制度を活用していく実体を法的に検証することは貴重な経験でした。
International Public Law
by Michael J. Glennon
Class of 2019 H.S.
国連安保理の決議を経ずに行われたコソボ空爆は国際法上どのように評価されるのでしょうか?また、第二次世界大戦における連合国側の行為、特に原爆投下や都市への空襲について、法的責任は問われないのでしょうか。これらの問いに対し、単に机上の規則を適用するだけでは、必ずしも現実的な回答を示すことができるとは限りません。
Glennon教授のPublic International Lawは、秋学期に開講されたInternational Legal Orderの続編に当たる授業です。International Legal Orderが国際法の性質や制度、すなわち、Hartの区別でいうSecondary Ruleを中心に取り扱う総論的な授業であったのに対し、この授業では主に武力の行使や国際刑事法、国際人権法、国際環境法など、各分野のPrimary Ruleについて、様々な角度から議論を進めていきます。
この授業においては、繰り返し強調されたのは、ある立場や考え方について、単なる個人的な好みのレベルを超え、なぜ普遍的に正しいと主張できるのか、異なる立場の人をいかに説得するかを考えるということです。例えば、基本的人権が尊重されるべきというwhetherの疑問について疑いを持つ人はほとんどいないでしょう。しかし、基本的人権をどのようにして保護するのかというhowの疑問となると、日本国内であればいざ知らず、世界各国を見渡すとその見解は大きく分かれます。例えば、政治的権利と経済的権利の関係性や、政治的権利の中でも特に表現の自由の取り扱いについては、各国の文化や歴史を背景として大きな差があります。また、武力の行使や侵略といった概念についても、いまだにその認識には様々な差異や乖離が見られます。この時、そもそも異なる立場に立つ相手に対して、単に自分の主張が正しいということを主張したとしても、議論は水掛け論で終わってしまいます。だからこそ、単なる主観的な倫理や道徳ではなく、まさに法として、何が「在る法」なのか、また時には「在るべき法」なのかということを突き詰めて考え、相手を説得するということが求められます。
もちろん、これは極めて難しい課題であり、おおよそ授業の中で答えがクリアに出るということはほとんどありません。それでも、いや、だからこそ、授業の議論は白熱し、様々なアプローチで答えのない問いに答えようとします。ここではその問いを一つ一つお示しすることはできませんが、単なる制度の理解にとどまることなく、その本質の追求を目指します。
International Legal Orderも決して容易な授業ではありませんでしたが、この授業において要求される水準はそれをさらに上回るものとなります。毎週のリーディングの分量はInternational Legal Orderに引き続き相当の分量となり、また、授業のディスカッションも米国の価値観が中心になる傾向が強いため、その中で存在感を出すことにも苦労しました。当然ながら、学期末の試験勉強の負担も相応のものとなるでしょう。それでも、これらの困難を補ってなお余りある、様々なバックグラウンドの学生とともに米国の大学院で国際法を学ぶということの醍醐味が凝縮された非常におすすめできる授業です。
Law of the Sea
by John Burgess
Class of 2018 J.M.
この講義は、南シナ海及び北極海をケースとして、海洋法の視点から両海域の諸問題を分析するものです。講義を受け持つBurgess教授は、元々アカデミアの方ではなく、現役弁護士であり、2015年にはBest lawyer of Americaにもリストアップされています。そのため、講義内容は、教授も授業中に度々強調するように、「国際法弁護士の視点から問題をどのように考えるのか」という視点に立脚しており、非常に実務的な内容となっています。国際法学界はともすると実務からかけ離れた空中戦を展開しがちですが、この講義は、「実際の問題を解決する上で法をいかに用いるか」、「法のやれることとその限界は何か」という観点を常に念頭において行われており、その意味で、国際法を専攻する学生だけでなく、国際政治を専門にしている方にとっても興味深い視点を与えてくれると思います。
南シナ海に関しては、2016年に出た南シナ海仲裁判決(フィリピンv中国)をもとに、裁判管轄権、歴史に基づいた主張、島の定義、漁業管轄権の対立、航行の自由といった問題について扱っています。フィリピン側の弁護士が、南シナ海における中国との間での対立を、国連海洋法条約上の強制管轄権の範囲内で解釈できるように非常にうまく主張内容及び条文解釈を構成していた点は興味深いものでした。北極海は、日本ではまだあまり注目が払われていませんが、地球温暖化による海面氷床の減少に伴い、現在北米、ロシア、欧州、更には中国と多くの国が航路及び資源に熱いまなざしを送っています。アメリカで海洋法関係のイベントに出ると、必ず北極海利用が一番のホットイシューとして取り上げられるほどです。フレッチャーの講義では、北極海の問題を議論の契機として、航路利用に関する海洋法条約の解釈の対立並びにEEZ及び大陸棚の境界画定等の問題を扱っています。例えば、北極海航路(いわゆる北西航路)をめぐってアメリカとカナダの意見は一致しておらず、この講義を通じて、日本ではあまり知られていない論点も学ぶことができます。
海に囲まれた日本にとって、国際関係を考える上で海洋法に関する知識を欠かすことができません。海洋法は、領域や海洋権益だけでなく、貿易における航行や環境問題まで規定しており、現代国際法において、国連憲章の次に重要な国際法といっても過言ではありません。この講義は上述のとおり、実務の視点から国際法を扱っており、国際法について何となくとっつきにくく感じている方にもハードルが低いのではないかと思います。
International Criminal Justice
by Tom Donnenboum
Class of 2018 J.M.
この講義は、旧ユーゴ国際刑事法廷(ICTY)やルワンダ国際刑事法廷(ICTR)及び国際刑事裁判所(ICC)等に関わる国際刑事法の諸問題を扱っています。伝統的な国際法では、国家のみが国際法上の主体とされてきました。しかし、国連憲章下の現代国際法では、国際人権人道法の発展に伴い、個人も国際法主体として扱われるようになってきました。その結果、戦争犯罪やジェノサイドといった重大な犯罪について、国際社会が個人を裁くというパラダイムの転換が、ニュルンベルク裁判及び東京裁判を契機に、戦後徐々に形成されてきています。これが国際刑事法分野であり、現在もダイナミックに日々進化し続けている法分野です。
法学の授業というと、単に条文解釈に関する理論や判例を検討するイメージが先行しがちですが、フレッチャーのInternational Criminal Justiceは現在進行形で発展中の国際刑事法というチャレンジングな分野について、通説を超えた「正義とは何か」という議論にも立ち入るものです。講義では、管轄権、犯罪形式、要件論その他の諸論点について、教授と学生との双方向のやり取りを通じて最先端の議論を学ぶことができます。例えば、上官責任に関し、現在の国際慣習法では、上官責任を理由国とする際刑事責任の阻却を認めていません。しかし、軍隊内部においては、上官の命令が絶対であるという風潮が実際に存在し、そのような現実と法との間で乖離が生じています。ICC規程を策定するに際し、多くの学者と外交官は、国際犯罪を許さないというテーゼと、命令に従わざるを得ないというアンチテーゼとのぶつかり合いをいかに統合するか、という難題に直面してきました。国際刑事法においては、このように二つの相反する概念が対立する構造を多く見つけることができます。だからこそ、国際刑事法は非常に複雑で難しく、そして、非常に興味深い分野であり、この講義を通じてその醍醐味を知ることができます。
講義を担当するDonnemboum教授は、国際刑事法分野における新進気鋭の学者であり、彼の論文はアメリカ国際法協会からも表彰を受けています。彼はこの講義のほかに、International Humanitarian Law及びTransnational Justiceの講義も受け持っており、共に学生の中で評判のいい講義です。
国際刑事法は、日本では比較的研究が進んでいない分野であり、だからこそ研究が進んでいるアメリカで受ける意味がある分野だと思います。私自身、この講義を通じて、日本の直面する歴史問題について、国家責任とは別の新しい視座を得ることができました。
非常に課題量が多く、授業中は休みを取らず二時間ぶっ続け、授業後は頭がふらふらになるような講義でした。しかし、必ず得るものがある講義です。国際法に興味のある方はぜひとることをお勧めします。
International Humanitarian Law
by Tom Donnenboum
Class of 2019 J.T.
この講義は、日本語でいう国際人道法を扱う講義です。国際人道法というと日本ではあまり聞きなれない単語ですが、戦時国際法という言い方をするとなんとなくイメージが湧くのではないでしょうか。どんなスポーツにもルールがあるように、戦争にも国際的なルールがあります。紛争を規律する国際法は、Jus ad bellum(どのような時に武力に訴えて良いか)とJus in bello(どのように武力紛争中の行為を規制するか)の二つの分野に大別され、国際人道法は後者に属する法の総称です。たとえば、アメリカの原爆投下は民間人をたくさん殺しているので国際法違反だ!というような議論を聞いたことがあるかもしれません。この議論の当否はともかく、核兵器の使用も含めた武力紛争中の行為に対し、民間人と戦闘員の区別、捕虜の取扱い、不必要な苦痛を与える兵器の禁止等、様々なルールを定めているのが国際人道法です。
国際人道法には、主に「ハーグ法」と「ジュネーブ法」の二つの系列がありますが、この授業は主にジュネーブ法を扱い、その中でも特に生徒の関心が高い非正規戦や対テロ戦に関連する法規に焦点を当てます。国際人道法は、正規軍同士の戦いを前提として発展してきたため、非正規戦には必ずしもそのまま当てはめられないような規定が多く含まれています。たとえば、国際人道法の大原則の一つに民間人と戦闘員の区別があります。戦闘員には、民間人と区別するためにいくつかの義務が定められていて、そのうちの一つが制服の着用です。しかし、明確なmembershipがなく、統一された制服もない武装組織に所属している人たちはどう扱うべきでしょうか?彼らを拘束した場合、正規軍の捕虜と同じ待遇を与えるべきでしょうか?授業では、近年の対テロ戦や低強度紛争から生じるこのような課題に対する国際的な議論を、コソボやジョージアのような実例に当たりながら取り上げていきます。国際人道法の中でも、特に非正規戦の分野はまだまだ発展途上の分野なので、各国や国際組織のアプローチは必ずしも一致しません。というよりも、多くの場合、アメリカやイスラエルの意見とICRCのような国際組織の意見は食い違います。この授業の良かった点は、アメリカだけの視点に偏らず、イスラエルやイギリス、国連、ICRCといった様々なアクターの違った意見を取り上げてくれるところです。リーディングの量は多く、授業のテンポも早く、おまけに期末試験が評価の8割という、少々ハードルの高い授業ですが、私はそれに見合うだけのリターンはあると感じました。国際人道法を学ぶ機会自体が、日本では得がたいものですし、軍事行動を規律する国際法を学ぶことは、現代の紛争を眺める視点を確実に一つ増やしてくれます。安全保障に興味のある方にはとてもお勧めの授業です。
Foreign Relation and National Security Law
by Michael J. Glennon
Class of 2019 H.S.
皆さんはアメリカの憲法についてどのようなイメージをお持ちでしょうか?世界最古の成文憲法ともされるアメリカの憲法においては、厳格な三権分立の制度が採用されています。トランプ大統領が予算案について議会と対立した挙句、連邦政府を封鎖するに至ったのは、まさにこの大統領の議会との緊張関係によるものだと言えるでしょう。日本のような議院内閣制における三権分立とは異なる政治システムがここにはあります。
Glennon教授のForeign Relation and National Security Lawは、アメリカの憲法制度のもと、安全保障に関する権限が行政府、立法府、司法府、はたまた州政府にどのように分けられているのかについて、シミュレーション形式のディスカッションと講義を通じて学ぶものです。具体的な例をあげてみましょう。例えば、アメリカの憲法では、戦争の宣言は議会の権限とされています。しかし、最後に議会が戦争を宣言したのは第二次世界大戦の際で、その後の朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、対テロ戦争、イラク戦争、その他小規模な武力紛争のいずれにおいても、議会による戦争の宣言はされていません。この背景としてあるのは、これも同じく憲法に規定されている大統領のCommander-in-Chiefという軍の最高指揮官としての固有の権限で、特段の法律による委任を要することなく、この権限に基づき、大統領は比較的自由に軍事行動を行うことができると考えられているのです。また、ベトナム戦争の反省を踏まえ、大統領と議会の権限を明確化するという趣旨でWar Powers Resolution(戦争権限法)が成立しましたが、依然として様々な曖昧な点が残っています。それでは、どのような場合に憲法に基づく議会による戦争の宣言が必要となるのでしょうか? あるいは、War Powers Resolutionに基づく手続きが必要となるのでしょうか?そもそもWar Powers Resolutionは憲法に合致しているのでしょうか?さらに重大な問題となるのは誰がこれらの争点を解決するのか、という点です。安全保障に関する専門性に乏しい裁判所は、どの程度まで司法審査を行うべきなのでしょうか?それは裁判所による政治への介入にはならないのでしょうか? 様々な疑問が湧き出てきます。
これらの論点については、奇妙なことに、同じ憲法の条文を踏まえているにも関わらず、真っ向から対立する意見を展開できるという状況が生じます。すなわち、武力の行使の事例の場合、大統領の立場に立てば、議会の承認なぞ不要だという立論が可能になり、議会の立場からすればそのような単独での武力の行使は違憲だと言うための証拠は十分にあるわけです。
この授業においては、クラスを二つのグループに分けて、自分が指定された立場からいかなる立論が可能となるのかを検討し、論点ごとにディスカッションを行います。どのような判例があるのか、過去の慣習はどうなっているのか、その慣習はそもそも正当な慣習なのかなど、様々な根拠を組み合わせながら自分の立場を説得的に示すのは決して容易ではありませんし、そもそも授業で存在感を示すのも一苦労です。それでも、この授業を通じ、アメリカ政府の意思決定を理論的に理解する素地を得るとともに、日本との比較を通じて日本の制度を相対的に見ることができるようになりました。同じ論点について、日本においてはどのような法令や制度があるのか、違いはあるのか、その前提にはどのような憲法上の違いがあるのかなど、この授業を通じてアメリカだけではなく日本についての理解も深まったような気がします。極めてハードであると同時に、極めて深い学びを得ることができる、そんなオススメの授業です。